とある田舎者トレーナーが起業してみて思うこと

とある田舎者トレーナーが起業してみて思うこと

パーソナルトレーニングジム「Sharez」を運営している岡崎秀哉です。

トレーナーってフリーランスは多いが起業家は少ない。今回はそんな比較的マイノリティなトレーナーの起業についての話である。

そもそも「起業したい」とか「大成功してやる」とかそんな大それた強い意志はなかった。(facebook等では格好をつけて書いたりしているのだが……笑)

では、「そんな僕がなぜ起業に至ったのか」について、起業を考えているトレーナーやこれからフィットネス業界に関わる人の少しでもヒントになればと言うことで分析してみる。

過去の原体験について

過去の原体験について

現在の僕の周りは起業家が多いのだが、過去の原体験が影響しているなと感じる方が多い。

例えば、

  • 「親が経営者で、自分も経営者に」という遺伝的なパターン。
  • 「昔貧乏で稼ぐには起業するしかない」みたいなハングリーなパターン。
  • その他いろいろ。(もちろん最近の経験から起業というパターンもある。市場がどうとか、ニーズがどうとか、コンサル出身でとか)
と言うことで僕も過去から探っていきたいと思う。

飛騨高山という岐阜県ののどかな場所で育った。平たく言えば田舎だ。家庭は全くお金持ちではなく、かと言って貧乏でもなかったと思う。完全なる庶民。

庶民すぎて、僕は幼い時から「お金」というものに対してあまり意識する機会がなかった。高校時代は学校に財布すら持って行っていなかったので、売店にもほぼ行ったことがない。箸を忘れて売店でもらおうとしたら「5円です」と言われ、友達に5円借りた記憶があるくらいだ。

飛騨高山の名物の一つが「高山祭」。観光客もかなり来て盛り上がるのだが、財布を持っていない僕は、賑わう屋台街を素通りして帰宅していた。

僕はどうやって楽しみを見つけていたのか?

僕はどうやって楽しみを見つけていたのか?

そんな僕はどうやって楽しみを見つけていたのか?

ゲームもそこまでしないし、ファッションにも大して興味がなかった。行きついたのが「スポーツ」だ。

僕の実家には一通りのスポーツ用具があった。バスケボール、バレーボール、ハンドボール、ドッジボール、ソフトボール、テニスラケット、バット、グローブ、スケボー、スキー、ソリ、サッカーボール、メディシンボール、自作のラダーなどなど。

そして自宅のコンクリートの壁を使ったり、自宅前の道路を使って1人で様々なスポーツに興じるのだ。スポーツってある程度まではあまりお金が掛からない。ハマったり、本格的にやろうとすると結構お金が掛かる。

だから僕はそれぞれ程々に練習していた。そんな事をしていると、様々な種目を網羅し、体育の授業も予習できることに気づいた。

授業内容に応じて自宅で行うスポーツを選択するのだ。バレーボールが始まればバレーボールを自宅で練習し、ソフトボールが始まればソフトボールの練習をし、陸上が始まれば陸上の練習をする。練習方法は本で読んだりして学んでいた。

授業の時間はお披露目の場というわけだ。他の教科は課題が出たりもするし、授業中に当てられたりするので予習をしている人も多い。しかし、体育の予習をしていたヤツはいないだろう。

それを僕は行っていたので、授業のタイミングでは全部それなりにできるようになっている。同じクラスの人に褒められたり、先生に褒められたりする、時には教えたりする。そこで僕はある種の承認欲求を満たり、楽しんでいたのだろう。

スポーツによって自己肯定感が高まっていった

スポーツによって自己肯定感が高まっていった

つまり、スポーツによって「お金のかからない自信つけゲーム」に興じていたので、原体験としては「幸せ」を得るのに「スポーツ」は必要な要素だと感じていたが、「大量のお金が重要」という感覚はあまりなかった。

さらに言えば、夜暗くなるまでスポーツに興じているので、学校で多少嫌なことがあったり、テストの点数が悪くても、そんなものはすぐに忘れてしまう。個人的な感覚として、夢中になっている人は夢中なもの以外の記憶力が悪い。無意識にストレスマネジメントがなされていた。その点においてもスポーツの必要性を感じていた。

この時点で僕にとって、スポーツにおいて勝つことは最大の興味ではなくなっていた。現に僕はスポーツでほぼ1番になっていない。まぁまぁ成績は良いが1番はほぼない。

でもなぜか、異常にスポーツオタクだった。勝つとかではなく、誰かと一緒に何かをする手段だったり、自己肯定感を高めたり、ストレスマネジメントされたり、別の感覚を見出していたのだと思う。

だから、過去の経験からは「起業して金持ちになろう!」とか「大成功してやる!」みたいな気持ちは生まれなかったのだが、スポーツに関わって生きていくしかないという気持ちは芽生えていた。進路も迷わず体育系となる。

フィットネス分野のビジネス化

フィットネス分野のビジネス化

しかし、スポーツに関わって生きていくというのは容易いことではない。何しろスポーツをしているだけでは、商品を売っている訳でも、サービスを提供している訳でもないので、お金にならない。

ビジネス化しなければならないのだ。

また、いざその道に進むとそれらと向き合う時間が長くなる。趣味で行うのとは意味合いが変わってくる。授業では解剖学、生理学、バイオメカニクス、栄養学、歴史、経済学などを学び、だいぶ深く関わる事になる。

僕はそれらを単純に「面白い」と感じたのだ。だから「もっと面白くなるのでは?」という視点で手を替え品を替え、スポーツ、フィットネスに関わる事にした。

  • 大学時代には、マイナースポーツ「セパタクロー」を頑張ってみたり。
  • 本場のタイに行ってみたり。
  • それで天才テレビくんに出たり。
  • プレイヤーではなく、指導者になってみよう!とトレーナー、インストラクターの道に進んだり。
  • 「フィットネスモデル」というジャンルを模索したり。
  • それで「ロンハー」や「嵐にしやがれ」に出てみたり。
  • ジム作ってみよう!という事で声をかけて仲間を集めてみたり。
  • 会社作ってみたり。
  • 新卒採用してみよう!という事で会社説明会してみたり。
  • フィットネスの教育事業いいなって事で育成事業始めたり。
  • 将来は飛騨高山でも何かしよう!という事で飛騨高山から未経験のトレーナー候補をリクルートしてみたり。
  • IT事業やってみよう!と元エンジニアとオフショア開発に着手してみたり。

といった具合だ。深く、広く見ていくと全てが面白いのだ。そして、今もそれを追求している真っ最中というわけ。だから、恐らく「起業」というのも、そのプロセスに過ぎない。この先には、美容系のことをやったり、食に関することをやるかもしれない。

ビジネスとして捉えると、フィットネスやスポーツに関わっていく為には人に求められている形に落とし込まなければいけない。どんどん新しいものを生み出したり、どんどん良いものにしていったり、という作業も必要だ。

と書くと何だか義務的なイメージがするかもしれないが、それが「面白い」のだ。

まとめると、「自分の人生においてプライオリティの高いと感じていたフィットネスに継続的に関わっていこうと考え、工夫を凝らしていたらビジネスに行き着き、形は変わっているがそれが面白くなってどんどん追求し・・・気づいたら起業していた」という感じ。

まとめ

変化を楽しめることが大事

長くなりましたが、参考にしていただける可能性がある部分を切り出すと「変化を楽しめるか?」ということです。

1つの物事に関わっていき続けようとし、それを追求していくと、捉え方や関わり方が変わる可能性が高いと思います。色々見えてきちゃうんです。それをも楽しめるか?ということがポイントです。

よくスポーツ界の若手トップ選手や、若手経営者なんかのインタビューを読んだりすると「若いのにここまで考えられるなんて凄いな」と感じることがあると思います。

それは恐らく若くして1つの事を追求し、他人には未知な視点や角度でその物事に向き合っているからでしょう。

今回の話がみなさんの参考になったら幸いです……。