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Sharez設立の経緯と理念

こんにちは、Shibuya Fitness Sharez代表の岡崎秀哉です。

タイトルは固いですが、最近「Sharez設立の経緯と理念」について言語化できてきたので、ここに記しておこうと思います。

感情曲線、原体験ワークがオススメ

手前味噌になってしまいますが、おそらくフィットネス業界の人間にしては、ベンチャー、スタートアップといった界隈と繋がりのある方だと自負しています。

ということもあり、起業家から「なぜ起業したか?」「なぜその事業をしているか?」「何を目指しているか?」を聞かれる機会も度々あります。

その度に「僕の場合はどうだろう?」「僕にはそんな熱い思いはないのではないか?」と、若干引け目を感じていました。

しかし、最近原体験ワークや、これまでの感情曲線を何度か書き直して一定の形を見い出すことができたのです。これはオススメです。恐らく一回では上手くいかないので何度か行ってみてください。

感情曲線の説明

小中学校時代

僕の場合、小学生時代にスポーツが少しできたことにより、先輩から可愛がられる、少しチヤホヤされる、と言うありがちな経験をします。

これ自体は結構あるあるだと思うのですが、僕の場合、これがエスカレートします。

実家で様々なスポーツ競技の用具を購入してもらい、家に壁があったので、ひたすら壁や家の前の道路を使って、あらゆる競技の練習を始めました。甲子園が始まったら、甲子園のマネごとをして野球の練習をし、秋になり駅伝シーズンになると家の周りでランニングをしたり、ウィンブルドンを見て、テニスの練習をしたり、グラチャンバレーを見て、バレーボールの練習をしたり……。(ちなみに競技としては野球、水泳、陸上、スキーを行なっていました)

さらには体育の授業のカリキュラムに合わせて予習をするようになりました。まぁそんなこと誰もやっていないので、体育の授業では「そのスポーツの部活動部員の次にうまいのが僕」ということになります。そこでちょっとした自信がつきます。

好きなスポーツに多くの時間を費やし、その成果が体育の授業や部活動で認められる、周りも期待してくれる、というサイクルに当時の僕は自己肯定感を覚えていました。

結果が出ず辛い高校時代

高校は自称文武両道系の進学校だったのですが、陸上部に入部した時も「ちょっと地元で有名なヤツが入部してくる」感じで期待をされていました。(中学時代の陸上の成績がまぁまぁ良かったから)

しかし、高校入学後から僕のスポーツサクセスストーリーは崩れ始めます。誰よりも量は練習しているはずなのに、陸上の試合で結果が出なくなりました。高校から始めた同級生に負けたりもしました。

僕は専門雑誌を読んだり、動画を見たりして研究し、努力はしていたつもりでしたが、結果は出ず……。ついには種目を変えたりもしました。

好きなことに時間を費やし、結果を出し認められてきた僕にとってはかなりの痛い経験でした。この時、「努力をしていても結果が伴っていないと辛い」という事を身を以て経験しました。(今思えば、「色々手を出し過ぎた、努力のベクトルを間違えていた」と、ある程度納得できています)

大学時代

ゼロスタート

それでも人生の多くの時間をスポーツに費やしてきた僕は、諦めず体育大学に進学、遠方の大学に行ったので過去をゼロリセットしようと新しく自転車競技にチャレンジします。

推薦選手ばかりの中で、素人ながらかなりのポテンシャルを発揮していたので期待されていましたが、何と原因不明の病気と診断され、その競技を辞めざるを得ない自体に直面します。

これには流石に、心が折れ、初めて親に「学校を辞めようかと思う」と相談したのを覚えています。親に自分の進む道に関して相談をしたのはそれが最初で最後くらいな気がします。

僕はその後、自分の居場所を見つけようと、模索しました。これまでテレビでやっているようなメジャースポーツ各種にチャレンジしてきましたが結果が出せず、苦しい思いをしました。

転機到来

そこで、「結果が出せるものを探そう」と視点を変えました。

今思えば、「なぜそのスポーツをやっているのか?」と聞かれた時に、「そのスポーツが好きだから」ではなく、「上手かったり、結果が出ることで、褒められたり、認められたり、自信が持てたから」だったからなのです。実は競技にこだわりはなかったのです。

そんな模索の末、選択したのが「セパタクロー」というマイナースポーツでした。それから僕のスポーツに対する捉え方は変化し始めます。

マイナーなセパタクローについて知ってもらいたいからmixiやブログで情報発信をしたり、練習方法が確立されていないから、海外のプレイヤーを参考にして練習メニューをチームメンバーと作ったり、上達する為に全国、海外と武者修行に出向いたり、海外では言語よりもスポーツがコミュニケーションツールになることに気づいたり、現地人とお金を賭けて勝負したり……。

これまで「自分の競技力を高める為だけ」に取り組んでいたスポーツとは明らかに違いました。さらに言えば、結果を出して認められる、という自己肯定感だけではないものになっていました。

スポーツに対して柔軟に捉えられるようになり、もっと色々知りたくなりました。もっといろんな可能性があるのではないかと。

就職活動

大学3年時に就職活動も始まったわけですが、僕はフィットネス業界オタクのようになっていました。採用メディアから入ってくる情報はもちろん、小さなフィットネスクラブまで隈無く調べ、大学のある鹿児島から東京に出向き、OBOG訪問や企業訪問もスゴイ数をこなしていました。

スポーツ、フィットネスの世界で自分が存在感を示せる場所を模索していました。

「こんな会社もあるんだ」「こんなサービスもあるんだ」「こんなインストラクターもいるんだ」と、新しい発見を楽しんでいました。

入社前に恐らく100件以上のフィットネスクラブに見学や体験に行きました。スポーツ、フィットネスの世界でまだ見ぬものを体験したり、知っていくことが楽しくなっていました。

そのお陰もあってか、大学3年時にはもう就職が決まっていました。

社会人になってから

入社の為に上京してからは、これまで会ったことのない世界の人たちに会い、若干東京の方々のレベルに打ち拉がれながらも、新しい世界を見つけ、発見を楽しめる思考がついていた僕はポジティブに捉えていました。

どんどん外に出ていき、いろんな人と交流していました。22歳で始めたfacebookは、23、24歳で友達2000人くらいになっていました。

その延長線で、独立後も枠にとらわれず自分の存在価値を見い出すべく、積極的に様々な事業を展開。パーソナルトレーナーを軸に、フィットネスモデル、ダンスパフォーマンスチーム、アンダーウエアブランドなど、もはや謎の人に。

しかし、メディアにも取り上げて頂いたり、RIZAPやFiNCなど大きな企業でも仕事ができたり、様々なチャンスが舞い込んできていたので間違っていないと思っていたし、それを面白いと感じていました。(周りからは何をしているか分からない人だったと思いますが)

起業を決意し、Sharezの企画をスタート

しかし、全て誰かの仕掛けたものに便乗していたこと、もっと自分のように可能性を模索し、独自のポジションを作れる人を量産したいと思い、次のステージとして、起業を決意。Sharezの企画をスタートさせたわけです。

2015年、個で集客するスタイルの継続型パーソナルジムを展開。現在は2店舗、20名のメンバーとなっています。

さらにスポーツ、フィットネス分野において、もっと活躍できる可能性を広げる為、次なる事業を準備中です。