渋谷パーソナルトレーニングジム Shibuya Fitness Sharez

未来思考からフィットネスのチャンスを紐解く

未来思考

こんにちは。渋谷の個性派パーソナルトレーナー集団「Sharez」代表の岡崎秀哉です。

今回はフィットネスと絡めた近未来の話を少し。

パーソナルトレーナーという仕事は面白いもので、身体を良い方向に導く仕事を通じて、様々な人、思想、コミュニティに直に触れることができる職業な訳です。こと、僕のお客様は経営者が多く、情報感度も高い為、ありがたいことに僕も多様な情報のシャワーを浴びながら仕事している感覚だ。

そんな仕事を通じて、パーソナルトレーナーの僕なりに世の中を広く見てみると、価値のダイバーシティ化がどんどん進んでいく気がしている。

キーワードとして「お金」という観点で考えてみよう。
スマホ、SNS、アプリの発達によって、仮想通貨バブル、ITベンチャーバブル、クラウドファンディング、P活(パパ活をP活というらしい)……。

お金を集める方法は多様化し、イージーになっている。同時にTimeBank、Valuなどの新たなサービス登場により、これまで可視化されていなかった価値が視覚化され、お金としての価値を帯び始めている。つまり、これまで絶対的価値を誇っていた現金というお金の価値は薄くなり、様々な現金に変わる価値基準が登場しているというわけだ。

恐らく、今後近い未来には、「人々は様々な価値を保有し、投機目的で売り買いしたり、必要に応じて現金化する」みたいな時代になるんだろう。

さらに経済的な二極化は加速し、より極少数が多額の富を保有する形になっていくだろう。そして、ルーティン業務や細かい作業はロボット化していく。これらは既存産物との摩擦が大きいのですぐではないだろうが、既に技術的には可能だと思う。結果として、ルーティン業務や細かい作業に従事していた人は職がなくなる。

こうなってくると仕事をしなくても良い人が大量に発生し、ベーシックインカム的な流れになるだろう。つまり、「生活する為に働く」という概念は必要なくなり、生活に必要最低限のものは自動的に供給される。マズローの欲求階層でいう、ある程度の階層までは全ての人が満たされた状態になる。

その状態に慣れてくると価値観の変化が起こる。皆生活するには困らない為、お金を持っている事への執着、プライオリティは低下し、これまでのキャリアや高学歴、家柄などの判断軸は廃れ、より多様な視点で人は判断される。

まとめると、物質的なものはテクノロジーによりカバーされ、「生活する為に働く」という発想がなくなり、人々は精神的な充足を求めるようになるだろう、ということだ。

現在、東京オリンピックに向けてだったり、高齢化進行や医療費高騰に対する予防医療としてだったり、健康経営をフックになどと、こんな形でフィットネス業界が注目されているが、ここまでの文脈はそれらよりも遥かにフィットネス、ヘルスケア業界にチャンスをもたらすものとして考えている。

ここにもう1つ、別切り口の思想を加えてみよう。
2017年話題になった本として、メタップス佐藤氏の本「お金2.0」が挙げられる。
お金2.0

この本の中で「価値経済」という言葉が登場している。従来の「資本経済」から「価値経済」に移行していくという展望である。

また、NewsPicksの記事で、予防医学研究者石川善樹氏は「不足を埋める時代」から「満足の時代」へ移行していくという言葉を使っている。この2つの言葉は、ほぼ同意の言葉として解釈できると思う。

医療分野においても、これまでは病気を治す「治療」、そして未然に防ぐ「予防」と進んできたが、これからはwell-being(WHOが定義)、つまり「どのようにして、その人なりの満足を追い求めるか」というフェイズに入っていくと。

日本のドラッグストアで最も売れるのが、栄養ドリンクと風邪クスリなのだそうだが、これは予防の意識の低さを物語っている。ヤバくなってからしか対処しない訳だ。

病気でなければ健康という次元ではなく、健康には幅がある。疲れてはいるけれど病気でない状態の人と、朝目覚めてエネルギーに溢れている人とは同じ健康でも全く異なる状態であろう。そもそも、well-beingを追い求めると予防になっていく部分も大きい訳で、個人的に非常に同意だ。

DMMの沖縄水族館プロジェクト、サイバーエージェントのAbemaTV、ZOZOTOWNのZOZOSUITなどは完全にそこに向かっていると推測している。

最終的に僕が伝えたいことは、「パーソナライズされた精神的充足、エンタメ性を提供することができるか」がフィットネスのポイントになるという事だ。

痩せる、運動するだけでは足りない。正しい、結果が出るだけでも足りない。パーソナライズされたその人の精神的充足を如何に埋める体験を提供できるか、非常に多様化し、難しい話ではあるが、そこを求めてフィットネスに取り組む人が増えるだろうし、それらを提供できないフィットネスは廃れてしまうだろう。