こんにちは。渋谷のパーソナルトレーニングジム「Shibuya Fitness Sharez」の岡崎秀哉です。
Sharezの理念として掲げているのが、「可能性を広げる」というコピーです。これには2つ意味があり、「Sharezの提供するサービスや、人を通じて、お客様の人生の可能性を少しでも広げていきたい」という思いと、「Sharezでの仕事を通じて、働く人、トレーナーの人生の可能性を少しでも広げていきたい」という思いです。
そして、それが循環したら良いな、という事です。
トレーナーという仕事はまだマイナー職でしょうし、もっと潜在的には興味がある人がいたり、興味はあるけど職業としてなかなか選ばれていなかったりすると思っています。
だから、トレーナーという仕事の可能性を広げていくべく、Sharezのメンバーの軌跡や思いをお伝えしていこうと思っています。
その一つの手段として、「Sharezトレーナーインタビュー企画」をスタートさせます。Sharezメンバーにインタビューし、深掘りしちゃう企画です。
目次
桂川 晃尚(カツ) トレーナー
第1回ゲストは桂川 晃尚(カツ)トレーナーです。インタビュアーは私、岡崎秀哉(ヒデ)です。
※以降、桂川 晃尚トレーナーは「カツ」、私は「ヒデ」としてしています。
さて、「カツはどういう人間で、どういう経緯でSharezに入り、今何を思うのか」を、探っていきたいと思います。(このインタビューはヒデと、カツの地元が飛騨高山だという事もあり、移動中のバスの車中で行われました笑)
小学生時代はどんな子だった?
ヒデ
カツ
ヒデ
あとは今もトレーニングを受けてくれている親友がいるのですが、保育園の時からその子を追いかけていましたね。その子の取り合いをしていました。(誤解の無いように補足すると、親友は男性である)
クラスでは大人しかったですが、近所の仲良い子とはふざけたり、笑わせ合ったりして遊んでいました。
カツ
ヒデ
県大会の準々決勝だったのですが、僕は朝寝坊をしてしまい、先生に怒られ、大会に出場できるかわからない状態でした。何とか出してはもらえたのですが、相手は強豪で勝てそうにない相手でした。
下馬評を覆して善戦し、試合終盤、外野にいる自分が相手に当てたら逆転勝ちという場面でした。残り時間がわずか5秒のところで、僕は相手チームの選手にボールを当てチームは逆転勝ちを収めることができました。
相手は強豪、自分は遅刻もしていた中で、チームが次に進むことに貢献できたので、その時のことはすごく印象に残っています。
カツ
ヒデ
中学高校時代はバレーボールに夢中?
ヒデ
カツ
ヒデ
でも、自分の中学校はハンドボール部がなかった。それと、仲の良い友達がバレーボール部に入るという事で自分もバレーボールを選択しました。実は身長もそのうち伸びるだろうと思っていたのですが……。
1年生の時は筋トレなど体力作りばかりで、なかなかボールを触らせてもらえなかったですね。先生もあまり見てくれず、2年生から技術を練習するような感じでした。その頃になかなか身長が伸びていなかったので、セッターというポジションを選択しました。
でも、同級生に上手なライバルがおり、一度セッターをやめました。そして、他のポジションをやってみたのですが、合わず、やはりセッターを頑張りたいと奮起しました。親とコーチに手伝ってもらい、体育館を借りて自主練をしたりし、たまたまライバルがアタッカーに転向した事もあり、セッターの座を勝ち取りました。
チームとしては、県ベスト8、自分自身も地区選抜に選出してもらいました。
カツ
ヒデ
バレーボール以外の学生生活はどうだったの?
とはいえ、これは立候補者から選挙で選ぶという形でした。選挙演説をし、投票され、選ぶんです。4、5人立候補者がいたのですが、僕より頭の良い子もたくさんおり、選ばれると思っていませんでした。
しかし、選挙の結果、僕が選ばれたのです。嬉しかったと同時に大変そうだなーと思いましたが、生徒会長を支えるサポーター的なポジションで、自分としてはやりがいを感じていました。
でも、ちょっと反抗期な時期でもあったので、やんちゃな事をして、生徒会がゆえにかなり怒られたりした経験もあります。
カツ
ヒデ
高校時代どんな感じだったの?
でも、良い指導者がいませんでした。部活動の練習も自分達で考えて、自分達で行う感じでした。練習試合もなかなか組めず、中学の時よりも本気度は低い感じでした。でも、うまい人はいたので、自分としては練習に行けば何かしらの学びはあるし、楽しくやっていましたね。
ただ、やはり不完全燃焼な気持ちがあり、大学でもバレーボールを続けました。
カツ
ヒデ
逆に高校時代に悔しかったこととかはどうかな?
この試合に勝てば県大会に出場できる、という大事な試合でした。結果は、フルセットまでもつれたものの、負けてしまいました。自分のせいで負けてしまった」という気持ちも少なからずありましたし、悔し涙が止まりませんでした。しかも、勝ったチームは県ベスト4までいっていたんです。
カツ
ヒデ
カツ
ヒデ
たまにデイサービスの方も来ていたんですが、ほとんど家族で介護していました。毎回実家に戻るたびに、温かく迎えてくれて、介護の補助をするといつも笑顔で「ありがとう」と言ってくれたのは今でも忘れない思い出です。
なので、亡くなった報告を聞いたときは大泣きしましたし、すぐに高山に帰りました。
カツ
ヒデ
カツ
大学時代から、新卒で入った会社はどうだった?
ヒデ
大学時代に仲良くしてくれた友達が車を持っていて、車で出掛けたり、一緒にバイトをしたり、食事に行ったり、という日常が楽しかったですね。
カツ
ヒデ
でも、初めて大学で実家を出て、飛騨高山から愛知県に行ったので、自分の居場所が欲しかったんです。そう考えた時に、今まで続けてきたバレーボール部に入るのが手っ取り早いと感じて入部しました。
でも、中学の時のようなガツガツ勝利を目指す感じではなかったです。最初はガツガツやっていたのですが、徐々に先輩も来なくなり、先生も教えに来る頻度が落ちたりで、ラフな感じになっていきました。
それでも2人、高校時代に全国レベルだったメンバーがいたので、練習しているだけで楽しかったんです。
カツ
ヒデ
そこから卒業し、地元飛騨高山に戻って就職するわけだけど、Sharezに入るまでの社会人生活はどうだったの?
もともと、父親の働き方に憧れていた部分もあります。仕事をしながら、趣味も充実させて働いていたので、自分も地元に帰ってそのようにしたいなと。
カツ
ヒデ
高山で働くとして、職業はどう決めていったの?
カツ
ヒデ
でも、それは最初だけで、仕事柄、淡々と仕事をこなしていく感じ空気も重く、ずっと座りっぱなしのデスクワークで楽しくなくなってきました。また、出先に出ている人も多く、コミュニケーションを取る人も少なくなってきて、組織に馴染めていませんでした。
毎朝、少し憂鬱になりながら会社に行っていました。最初は3年は働こうと思って入社しましたが、1年も続けられるか不安になっていました。
1年目の終わりには、朝起きるのも辛く、会社の入り口に入るのも嫌になっていました。上司が帰らないと帰れないみたいな暗黙のルールもあり、早くも帰れない。でもやめて次にどうする当てもない。
カツ
ヒデ
それは誰かに相談したりしていたの?
そんな時、親身になって相談に乗ってくれる先輩がいました。週1回くらい毎週会って食事に行き、相談に乗ってもらっていました。それがヒデさんの同級生だったんです。
自宅で介護をしていたので、介護の仕事や人の役に立つ仕事がしたい、スポーツが好きだからスポーツトレーナーの仕事にも興味があると話していました。
しかも、実は中学か高校の時に「将来の夢」を書くところに、「スポーツトレーナー」と書いていたんです。
カツ
ヒデ
ヒデとの出会いからSharez加入まで
僕は「ぜひお願いします!」と伝え、facebookのメッセンジャーで繋いでもらいました。その時は現状を変えたくて必死だったんだと思います。
カツ
ヒデ
それが2016年5月くらいだね。
カツ
ヒデ
渋谷に行ったのも人生初めてだったので、スクランブル交差点で「こんなたくさんの人がいる中で本当に出会えるのか」と不安になったのを覚えています。
実際に会って色々話して、ジムも見させてもらいました。飛騨高山にはパーソナルジムがないので、こんな感じなんだと色々初めてな情報が多かったです。
カツ
ヒデ
僕自身もあまり深く考えていなかったけど、まだ人数も少なかったし、同じ飛騨高山出身でトレーナーやりたいってヤツが目の前にいるのに、放っておけなかったんだろうね。見切り発車的にそう伝えた気がするよ。笑
その後、飛騨高山に帰ってからはどんな流れだったの?
カツ
ヒデ
僕が会社で良い状態でないのを察していたんでしょうね。父はもともとあまり口を出してこないので、こんな感じの回答でした。
カツ
ヒデ
僕は「会社に居づらい、居心地が悪い」と理由を伝えました。そして、「東京に行ってトレーナーの仕事をしたい」と言いました。
それに対しても「高山で別の仕事を探したら?」という感じで。でも自分の中ではもう決めていたので、僕は「なかなかないチャンスだから」、「実際に東京に行って話を聞いてきた」と、さらに自分の意志を伝えました。
カツ
ヒデ
入社に迷う従業員の親に社長が出向いて事業の説明や質疑応答を受けるわけだからね。コメダ珈琲で、僕の前にカツ、カツの両親が並んで1対3の状態。僕は事前にプレゼン資料を用意して、MacBookを開いて両親に僕の経歴と会社の概要を説明した。
カツ
ヒデ
カツ
カツの2018年の振り返りと2019年の抱負
ヒデ
また、会社としては、1on1ミーティングが始まったことで、自分自身の今後やりたい事にも向き合う機会ができています。
カツ
ヒデ
また、人脈を作って、どんどん新しい情報を入れていきたいです。
カツ
ヒデ
カツ
ヒデ
そういった学べるものに対して敏感になりながら、成長し、協力し合いながら、これまでにない新しいものを作っていきたいですね。
カツ
ヒデ
では、上司である岡崎、伊藤に対してはどうでしょうか?
今までは与えられっ放しだったので、「今後はこういうことをしたい、こうした方が良い」というアイデアを自分から出していって形にしていきたいと思います。
カツ
ヒデ
選択肢が増えている中で、「この人といたい、この人なら任せられる」というトレーナー、人になれるように、成長していきますので、皆さんのお役に立てたら嬉しいです!是非Sharezへ!
カツ
ヒデ