渋谷パーソナルトレーニングジム Shibuya Fitness Sharez

桂川 晃尚(カツ)【Sharez トレーナーインタビュー Vol.1】

桂川 晃尚(カツ)【Sharez トレーナーインタビュー Vol.1】

こんにちは。渋谷のパーソナルトレーニングジム「Shibuya Fitness Sharez」の岡崎秀哉です。

Sharezの理念として掲げているのが、「可能性を広げる」というコピーです。これには2つ意味があり、「Sharezの提供するサービスや、人を通じて、お客様の人生の可能性を少しでも広げていきたい」という思いと、「Sharezでの仕事を通じて、働く人、トレーナーの人生の可能性を少しでも広げていきたい」という思いです。

そして、それが循環したら良いな、という事です。

トレーナーという仕事はまだマイナー職でしょうし、もっと潜在的には興味がある人がいたり、興味はあるけど職業としてなかなか選ばれていなかったりすると思っています。

だから、トレーナーという仕事の可能性を広げていくべく、Sharezのメンバーの軌跡や思いをお伝えしていこうと思っています。

その一つの手段として、「Sharezトレーナーインタビュー企画」をスタートさせます。Sharezメンバーにインタビューし、深掘りしちゃう企画です。

桂川 晃尚(カツ) トレーナー

第1回ゲストは桂川 晃尚(カツ)トレーナーです。インタビュアーは私、岡崎秀哉(ヒデ)です。
※以降、桂川 晃尚トレーナーは「カツ」、私は「ヒデ」としてしています。

さて、「カツはどういう人間で、どういう経緯でSharezに入り、今何を思うのか」を、探っていきたいと思います。(このインタビューはヒデと、カツの地元が飛騨高山だという事もあり、移動中のバスの車中で行われました笑)

小学生時代はどんな子だった?

ヒデ

こんにちは。カツの昔のことは僕もあまりよく知らないし、せっかくの機会なので探っていこうと思います。宜しくお願いします!
お願いします!

カツ

ヒデ

まずカツは「どんな子供だったか?」聞いていきたいと思います。
人前だと、大人しくて、泣き虫でしたね。スポーツ(ドッヂボール)で怒られたりするとすぐ泣いてしまっていました。

あとは今もトレーニングを受けてくれている親友がいるのですが、保育園の時からその子を追いかけていましたね。その子の取り合いをしていました。(誤解の無いように補足すると、親友は男性である)

クラスでは大人しかったですが、近所の仲良い子とはふざけたり、笑わせ合ったりして遊んでいました。

カツ

ヒデ

小さい時で、一番印象に残っていることは何ですか?
小学生の時は、ドッヂボールをやっていたのですが、小6の時の試合が印象に残っています。

県大会の準々決勝だったのですが、僕は朝寝坊をしてしまい、先生に怒られ、大会に出場できるかわからない状態でした。何とか出してはもらえたのですが、相手は強豪で勝てそうにない相手でした。

下馬評を覆して善戦し、試合終盤、外野にいる自分が相手に当てたら逆転勝ちという場面でした。残り時間がわずか5秒のところで、僕は相手チームの選手にボールを当てチームは逆転勝ちを収めることができました。

相手は強豪、自分は遅刻もしていた中で、チームが次に進むことに貢献できたので、その時のことはすごく印象に残っています。

カツ

ヒデ

すごく鮮明に覚えているね。僕そんなに細かく覚えていないわ……。

中学高校時代はバレーボールに夢中?

ヒデ

では、中学校で一番印象に残っていることはどうだろう?
バレーですかね。中学校からバレーボールを始めました。

カツ

ヒデ

なんで中学はバレーボール部に入ったの?
小学校の時に、ドッヂボールで県3位までいったので、それを活かしたスポーツをしたいなと思っていました。多いのはハンドボール部に入るケースです。

でも、自分の中学校はハンドボール部がなかった。それと、仲の良い友達がバレーボール部に入るという事で自分もバレーボールを選択しました。実は身長もそのうち伸びるだろうと思っていたのですが……。

1年生の時は筋トレなど体力作りばかりで、なかなかボールを触らせてもらえなかったですね。先生もあまり見てくれず、2年生から技術を練習するような感じでした。その頃になかなか身長が伸びていなかったので、セッターというポジションを選択しました。

でも、同級生に上手なライバルがおり、一度セッターをやめました。そして、他のポジションをやってみたのですが、合わず、やはりセッターを頑張りたいと奮起しました。親とコーチに手伝ってもらい、体育館を借りて自主練をしたりし、たまたまライバルがアタッカーに転向した事もあり、セッターの座を勝ち取りました。

チームとしては、県ベスト8、自分自身も地区選抜に選出してもらいました。

カツ

ヒデ

かなりバレーボールに打ち込んでいたんだね。

バレーボール以外の学生生活はどうだったの?

バレーボール以外だと、生徒会の書記長をやっていました。生徒会長がバレーボール部のキャプテンだったのですが、彼に誘われたのと、高校進学にあたり、内申点を上げたいという思いがありました。

とはいえ、これは立候補者から選挙で選ぶという形でした。選挙演説をし、投票され、選ぶんです。4、5人立候補者がいたのですが、僕より頭の良い子もたくさんおり、選ばれると思っていませんでした。

しかし、選挙の結果、僕が選ばれたのです。嬉しかったと同時に大変そうだなーと思いましたが、生徒会長を支えるサポーター的なポジションで、自分としてはやりがいを感じていました。

でも、ちょっと反抗期な時期でもあったので、やんちゃな事をして、生徒会がゆえにかなり怒られたりした経験もあります。

カツ

ヒデ

生徒会とかやってたのは知らなかったなぁ。でも書記長という立場で生徒会長をサポートしたり、という点は今の働き方に通ずる部分があるのかもね!

高校時代どんな感じだったの?

中学高校時代はバレーボールに夢中

高校時代も印象に残っているのは、部活動です。中学と同じくバレーボール部で、最も良い時で県ベスト16くらいの結果でした。中学時代に地区選抜に選ばれているメンバーも何名か揃っていたのでかなりポテンシャルは高いチームでした。

でも、良い指導者がいませんでした。部活動の練習も自分達で考えて、自分達で行う感じでした。練習試合もなかなか組めず、中学の時よりも本気度は低い感じでした。でも、うまい人はいたので、自分としては練習に行けば何かしらの学びはあるし、楽しくやっていましたね。

ただ、やはり不完全燃焼な気持ちがあり、大学でもバレーボールを続けました。

カツ

ヒデ

勝負以外に楽しさを見出したりできた点はスポーツを続ける上で大事な事だと思うね。そこはすごく共感します。

逆に高校時代に悔しかったこととかはどうかな?

3年生の部活引退前、最後大会でレギュラーメンバーの先輩の1人がケガをしてしまい、離脱。当時1年生だった自分が出場する事になりました。

この試合に勝てば県大会に出場できる、という大事な試合でした。結果は、フルセットまでもつれたものの、負けてしまいました。自分のせいで負けてしまった」という気持ちも少なからずありましたし、悔し涙が止まりませんでした。しかも、勝ったチームは県ベスト4までいっていたんです。

カツ

ヒデ

それは悔しいね。僕も駅伝で同じような経験があったね。1年生ながら選ばれて走って、他は全員3年生。1人で3年生を見送る形になって、寂しい思いと、もっと自分は頑張れたんじゃないかって思いがあったね。
でも、その時の涙は人生で2番目に泣いたなって感じなんです。

カツ

ヒデ

そうなんだ!1番泣いたのがあるんだね?
大学時代におじいちゃんが亡くなった時ですね。飛騨高山にいる学生時代から実家で介護をしていました。

たまにデイサービスの方も来ていたんですが、ほとんど家族で介護していました。毎回実家に戻るたびに、温かく迎えてくれて、介護の補助をするといつも笑顔で「ありがとう」と言ってくれたのは今でも忘れない思い出です。

なので、亡くなった報告を聞いたときは大泣きしましたし、すぐに高山に帰りました。

カツ

ヒデ

そうだったんだね。実家で家族で介護していたとなると、気持ちが違うよね。
そうですね……。涙

カツ

大学時代から、新卒で入った会社はどうだった?

ヒデ

逆に大学時代のハッピーな思い出はどう?
高校が商業科だったので、その流れで大学も選択しました。

大学時代に仲良くしてくれた友達が車を持っていて、車で出掛けたり、一緒にバイトをしたり、食事に行ったり、という日常が楽しかったですね。

カツ

ヒデ

大学でのバレーボールは?
実は高校時代に不完全燃焼な気持ちはあったのですが、続けるか迷いの気持ちもありました。

でも、初めて大学で実家を出て、飛騨高山から愛知県に行ったので、自分の居場所が欲しかったんです。そう考えた時に、今まで続けてきたバレーボール部に入るのが手っ取り早いと感じて入部しました。

でも、中学の時のようなガツガツ勝利を目指す感じではなかったです。最初はガツガツやっていたのですが、徐々に先輩も来なくなり、先生も教えに来る頻度が落ちたりで、ラフな感じになっていきました。

それでも2人、高校時代に全国レベルだったメンバーがいたので、練習しているだけで楽しかったんです。

カツ

ヒデ

自分の居場所が欲しいってのは何だかわかる気がするなぁ。

そこから卒業し、地元飛騨高山に戻って就職するわけだけど、Sharezに入るまでの社会人生活はどうだったの?

進路選択について深い考えはなくて、長男だし地元飛騨高山に戻って就職しようという、気持ちでした。

もともと、父親の働き方に憧れていた部分もあります。仕事をしながら、趣味も充実させて働いていたので、自分も地元に帰ってそのようにしたいなと。

カツ

ヒデ

僕の同級生でも東京で良い企業に勤めていた人も辞めて飛騨高山に戻ったりしている人もいる。地元への愛とか愛着とか強い人は多いよね。

高山で働くとして、職業はどう決めていったの?

高校、大学と、簿記や商業科だったので、その流れで具体的に何をするかは知らぬまま、会計事務所に就職しました。会計士ではないので、事務職のような仕事をしていました。

カツ

ヒデ

なるほど。そこを1年半弱で辞めてしまうわけだけど、そこでの辞めた経緯とかはどんな感じなのかな?
最初は新入社員という事で、歓迎してくれて、優しくしてくれました。

でも、それは最初だけで、仕事柄、淡々と仕事をこなしていく感じ空気も重く、ずっと座りっぱなしのデスクワークで楽しくなくなってきました。また、出先に出ている人も多く、コミュニケーションを取る人も少なくなってきて、組織に馴染めていませんでした。

毎朝、少し憂鬱になりながら会社に行っていました。最初は3年は働こうと思って入社しましたが、1年も続けられるか不安になっていました。

1年目の終わりには、朝起きるのも辛く、会社の入り口に入るのも嫌になっていました。上司が帰らないと帰れないみたいな暗黙のルールもあり、早くも帰れない。でもやめて次にどうする当てもない。

カツ

ヒデ

そんな状況だったんだね。それは僕も初めて知った内容……。

それは誰かに相談したりしていたの?

親や社内の人には相談できないので、同級生やバレー時代の先輩などに相談していました。

そんな時、親身になって相談に乗ってくれる先輩がいました。週1回くらい毎週会って食事に行き、相談に乗ってもらっていました。それがヒデさんの同級生だったんです。

自宅で介護をしていたので、介護の仕事や人の役に立つ仕事がしたい、スポーツが好きだからスポーツトレーナーの仕事にも興味があると話していました。

しかも、実は中学か高校の時に「将来の夢」を書くところに、「スポーツトレーナー」と書いていたんです。

カツ

ヒデ

元から興味はあったけど、職業としては考えていなかった感じなんだね。確かに体育学部でもフィットネスの仕事をしている人やトレーナーになっている人は多くないのが現状だからね。

ヒデとの出会いからSharez加入まで

その話をしたら、先輩が「僕の同級生に東京でトレーナーやってるヤツがいる。良ければ繋ぐよ」って言ってくれたんです。

僕は「ぜひお願いします!」と伝え、facebookのメッセンジャーで繋いでもらいました。その時は現状を変えたくて必死だったんだと思います。

カツ

ヒデ

そんな流れだったんだ。そう言えばあまり聞いてなかった。笑

それが2016年5月くらいだね。

しばらくメッセンジャーでやり取りして、東京に実際に見に行くことにしました。

カツ

ヒデ

当時のやり取りを振り返ってみたけど、最初は高山で働きたいと言っていて、「自分から東京に会いに行くので話を聞かせて欲しい」って言ってたね。
そうですね。当時は全く具体的なビジョンはなく連絡していたので、「とにかく会って話を聞いてみないとな」と思い、仕事が休みの日に東京にいきました。

渋谷に行ったのも人生初めてだったので、スクランブル交差点で「こんなたくさんの人がいる中で本当に出会えるのか」と不安になったのを覚えています。

実際に会って色々話して、ジムも見させてもらいました。飛騨高山にはパーソナルジムがないので、こんな感じなんだと色々初めてな情報が多かったです。

カツ

ヒデ

その時に、僕が「やるなら東京で修行した方が良い。家ならうちに居候すれば良いし」って話をしたんだね。確か。

僕自身もあまり深く考えていなかったけど、まだ人数も少なかったし、同じ飛騨高山出身でトレーナーやりたいってヤツが目の前にいるのに、放っておけなかったんだろうね。見切り発車的にそう伝えた気がするよ。笑

その後、飛騨高山に帰ってからはどんな流れだったの?

Sharezシェアハウスメンバー

帰って紹介して下さった先輩に報告し、親に話しました。

カツ

ヒデ

親にはどんな感じで話したの?
父親と一緒にジュニアのバレーボール指導をしていたのですが、その指導者の飲み会の帰りに、「今の仕事を辞めたいと思う」と伝えました。父は「おおそうか、もっと早く辞めると思っていたよ。母さんにも相談しないとね」という返事でした。

僕が会社で良い状態でないのを察していたんでしょうね。父はもともとあまり口を出してこないので、こんな感じの回答でした。

カツ

ヒデ

お母さんには?
母親はもう、大反対でした。「まず、なんで辞めるの?」というブロックから始まりました。

僕は「会社に居づらい、居心地が悪い」と理由を伝えました。そして、「東京に行ってトレーナーの仕事をしたい」と言いました。

それに対しても「高山で別の仕事を探したら?」という感じで。でも自分の中ではもう決めていたので、僕は「なかなかないチャンスだから」、「実際に東京に行って話を聞いてきた」と、さらに自分の意志を伝えました。

カツ

ヒデ

それで、たまたま僕が飛騨高山に帰る都合もあったので、カツの両親に会って説明することになったんだよね。これは、今思えば前代未聞だよ。笑

入社に迷う従業員の親に社長が出向いて事業の説明や質疑応答を受けるわけだからね。コメダ珈琲で、僕の前にカツ、カツの両親が並んで1対3の状態。僕は事前にプレゼン資料を用意して、MacBookを開いて両親に僕の経歴と会社の概要を説明した。

あれで何とか親も理解してくれたと思います。

カツ

ヒデ

お父さんは事前に僕のことをネットとかで調べていて、尋問だったよね。質問がすごい来た。なかなかの詰めようだったね。笑
親はやはり長男の僕に地元にいて欲しい思いもあるんだと思います。最近帰省したら、父親はだいぶ応援してくれている様子でした。

カツ

カツのSharez加入

カツの2018年の振り返りと2019年の抱負

ヒデ

僕も知らなかったカツの過去やエピソードが聞けました。いやー思えば色々あったね。では、少し話が変わって、2018年を振り返ってどうですか?
2018年は後半、お客様を結構振ってもらってセッション数が増えました。結果、パーソナルトレーニングの業務やお客様に費やす時間が増えてやりがいを感じています。

また、会社としては、1on1ミーティングが始まったことで、自分自身の今後やりたい事にも向き合う機会ができています。

カツ

ヒデ

2019年はどうしていきますか?
パーソナルトレーニング事業のレベルアップをしていきたいですね。具体的には、本数を増やす、満足度を上げる、といったところです。

また、人脈を作って、どんどん新しい情報を入れていきたいです。

カツ

ヒデ

Sharezチームとしてはどうでしょうか?
2018年後半から業務分担ができたので、分担している業務をそれぞれ責任を持って、協力しながら、目標達成していき、チーム力を上げていきたいです。

カツ

ヒデ

2019年から少し体制も新たになりますが、Sharezメンバーに対して何か伝えたいメッセージはありますか?
一緒に会社で活動していく中で、ここでしか学べないものがたくさんあると思います。僕はいわゆる普通の中小企業にいたので、わかりますが全く普通の企業とは違います。

そういった学べるものに対して敏感になりながら、成長し、協力し合いながら、これまでにない新しいものを作っていきたいですね。

カツ

ヒデ

なんだか、気の利いたコメントありがとう。笑

では、上司である岡崎、伊藤に対してはどうでしょうか?

3年目になるので、社会人としては飛騨高山よりも、東京の方が長くなっています。本当に前職より学べることが多いし、いろんな経験もさせてもらっています。

今までは与えられっ放しだったので、「今後はこういうことをしたい、こうした方が良い」というアイデアを自分から出していって形にしていきたいと思います。

カツ

カツの2019年の抱負

ヒデ

では、最後にSharezのお客様、あるいは今後関わってくれるかもしれないお客様に対して一言お願いします。
ダイエット、ボディメイクのニーズは伸びてきていますが、今後さらにに伸びていくと思うし、周りにもどんどんジムもトレーナーも増えていくと思います。

選択肢が増えている中で、「この人といたい、この人なら任せられる」というトレーナー、人になれるように、成長していきますので、皆さんのお役に立てたら嬉しいです!是非Sharezへ!

カツ

ヒデ

ありがとうございます。バス酔いしそうなので、この辺で。